アルティメット・ブルー

ときどき無性に文字を書きたくなるので、その情熱の矛先としてブログ始めました。

老害厄介オタク「長寿シリーズ、老害厄介オタク多すぎ」

 

「〇〇以降はクソ」とか「〇〇以降は同じシリーズとは認めん」とか…。
にわか叩きというほどじゃなくても「ああ、〇〇から入った人なのね」とか若年ファンを揶揄したり。
信じられんわ。

個人的には、どんな長寿シリーズでも最新作は間違いなく公式からの回答なのね。天の啓示なのね。つまりそれらを軽んじたりむやみやたらと叩くってことは、全部公式叩きに該当すると認識している。たとえ原動力が新規ファンへのマウント欲だとしてもやってることは公式叩きだ。
(もちろん純粋な批評とは分けて考える必要はあるがこれはこれで難しいからいつか別記事書きてえな)

公式叩き好きな人はホンット好きで一生やってるよね。
いつも思うんだけど公式叩くくらいならジャンルを去りなよ。海外のオタクがよく言ってるけど「not for me」案件でしかないわけよ。勘違いデモクラシーに脳をビタビタに浸された団塊世代じゃあるまいし何でもかんでも自分のワガママが推し通ると思うなよ。わたしからしたら「公式叩き」してる連中全員「棄民」に見えるね。公式さまが示してくださる新しい世界に対応できない老害厄介オタクども。棄民でなきゃ何だよそういう輩はチリトリで集めて端っこに寄せてVCやらせて黙らせておくくらいしかできることがない。マジで。

長年ファンとして付き合ってきて公式とは旧知の友かのように勘違いする気もわからんでもないけど、公式からしたらいい迷惑だしそんな一オタクのことビタイチ認識してない。絶対。1ファンの感情なんか知ったことじゃないってこと。それこそ地下アイドルみたいな狭い世界の話なら別かもしれんが、長寿シリーズってもうなんもしなくても売れるし金はジャブジャブあるしプロモーション打ち放題だし毎日新規ファンがゴマンと湧いてるし一種の新興宗教だからな。ユーザーは友人じゃないし、お客さんは神さまでは絶対にない。

まあこんだけ言ってるけど私だって27歳のオタクなので長寿シリーズの最新作に幻滅したことはいくらでもある。こんなのFFじゃねえ!とかそもそもスタッフほぼ変わってるのになんでシリーズタイトル名乗ってるわけ!?やめろ!とか結構過激なことを思ったりすることもある。
でもそういう時はとっとと素直に潔く棄教する。とっくに公式から見放されていることに気づきもせずに相変わらずわが物顔で公式を軽んじたり叩いたりしている連中とは違う。
すごく愛してた頃もあったから、別れは一抹のさみしさをもちろん感じるけれど。
みんなそうだと思う。好きだからこそ時が流れて変化していく愛し君の姿に耐えられないのだ。そして態度は裏腹に、変わってしまった公式への暴言や、変わってしまった公式をそうと気づきもせず有難がってる新規ファンへのいらだちにつながったりするのだ。すべては愛ゆえなのだ。
しかし、だったらなぜ気づけない。
今の公式についているファンだって血の通ったオタクだ。そのオタクbにとってかけがえのない今の公式という存在を、なぜ軽率に叩けるんだろう。自分にだってかけがえのない存在がありながら。
自分の大切なものに誇りを持つなら、他人の大切なものにも敬意を払うべきである。それがオタクとしてあるべき姿であるし、オタクの尊厳だと思う。

もちろんインターネット上の発言なんて自由なもんよ。自分が一番カワイイでもそれを責めたり誰ができる?
でもな、棄民老害風情が若者へのマウントだか自己愛だかのために邪に公式殴ってへらへらイキがってるの見てると情けなくてイライラしてくるんだよな。オタクの面汚しが。歳ばっか食ってろくに人生で頭使ってこなかったんですね。さっさと成仏しろ。